ミルスタインのバッハ無伴奏は、聴いていて本当に引き込まれてしまいますね。自分の好みでない音楽家であるにも関わらず、じっくり聴き入ってしまう奥深い音楽性があります。
ミルスタインは、自身のバッハ無伴奏に関するエピソードをいくつか話しています。私のおぼろげな記憶をたどりつつ、本も見返しながら本記事に書き留めておこうと思います。
彼は西欧に渡る前からバッハの音楽に傾倒していました。バッハの音楽を理解するために、平均律クラヴィーア曲集をヴァイオリンで弾いてみることもあったといいます。ある時、彼がマックス・レーガーのポリフォニックな音楽を聴いてバッハに対する理解がより深まったとも語っています。彼曰く、現代音楽が古典の傑作へ目を開く助けとなることがあるそうです。
1. 1954~1956年の録音
2. 1973年の録音
- レオポルト・アウアーの前で初めて演奏した時
- ウジェーヌ・イザイの前で初めて演奏した時
- ブルーノ・ワルターと共演した時
- 自分のバッハ無伴奏の録音を振り返って
- ミルスタインによるカザルスのバッハの演奏に対する評価
- 余談:楽器が弾き手の芸術性を取り込むという話
レオポルト・アウアーの前で初めて演奏した時
ミルスタインの一人目の師匠であるストルヤルスキーの働きかけにより、ミルスタインはアウアーの前で演奏を披露することになりました。アウアーに何を弾くのか問われた彼はパルティータのト短調の曲を弾くと応え、プレストを弾き始めたと言っています(ソナタ1番の誤りでしょうか?不明)。
この時、アウアーはテンポが速いと思ったようで、テンポを抑えるように指をゆっくりと鳴らし始めました。するとミルスタインは思うように弾けなくなってしまいました。
それでもアウアーは彼の演奏を気に入ったようで、5ルーブル金貨を2個差し出しました。けちぶりで有名であったアウアーがお金を差し出すのは異例のことであったようです。
ちなみに、アウアー門下となった後もミルスタインはアウアーの前でバッハ無伴奏を弾くことがありました。しかし、アウアーはバッハにあまり興味を示しませんでした。それでも助言は授けていて、ミルスタインがソナタ1番のフーガを弾いた時にはもっと主題を強調して弾くように要求しています。後年になってミルスタインはこの助言は誤っていると言い、こんな風に取り組んでもバッハのフーガを作り上げることはできないとコメントしています。
ミルスタインの回想録を読んでいると、アウアーの株が暴落します。教室にハイフェッツ親子が入ってきても完全スルーだし、ピアノを弾く女性の谷間をガン見するし、特に理由もなく突然怒り出すし、まず習いたくない講師だなと思いました(苦笑)。
ウジェーヌ・イザイの前で初めて演奏した時
1926年の夏(当時22歳)、ミルスタインはイザイに芸術上の奥義や活動の幅を広げる助言をもらうために、ベルギーのオステンドからさほど遠くないズー・スラ・メールにあるイザイの別荘に向かいました(ズー・スラ・メールがどこなのか、調べても全く分かりませんでした。英語表記も不明)。
アポなしで突撃訪問されて昼寝を妨げられたにも関わらず、イザイは穏やかにミルスタインを家の中に招き入れました。
ミルスタインは、はじめにパガニーニのカプリスの1番と24番を弾きました。その後、イザイにバッハをリクエストされ、無伴奏ソナタ1番のフーガを弾き始めました。するとイザイは彼の演奏を途中で遮り、どうしてそんなに速く弾くのか問いました。
「もっとゆっくり弾いたほうがいいですか?」
「いや、そうじゃない。よく聞きなさい。君はまだ何をしたいのだ?君はパガニーニもバッハも上手に弾いた。まだ、何かしたいのかい?」
私自身、イザイが何を思ってこのように発言したのか分かりません。ミルスタインが目指したい音楽を問うたのでしょうが。
ミルスタインはイザイの元へ通うため、ズーの近くのペンションに6~7週間滞在しました。この時あまりお金がなかったようですが、凄まじい熱意です。ミルスタインは熱心にレッスンに臨みましたが、ブラームスのヴァイオリン協奏曲をもっていってもイザイはミルスタインの演奏にあまり興味を示さず、演奏を最後まで聴くどころか、自分のヴァイオリンを取り出してオーケストラのパートをぎこぎこ弾くだけだったそうです。これは誰でも心が折れそう...。
イザイはとても親切にしてくれたが、彼から学ぶものは何もなかったとミルスタインは言い切っています。
ブルーノ・ワルターと共演した時
1925〜1934年のどこか、ゲヴァントハウスホール(ドイツ、ライプツィヒ)で起こった話です。
これは予期していない出来事だったそうです。ミルスタインがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾き終えたあと、ワルターは彼にアンコール曲としてバッハを提案しました。ミルスタインが言うには、指揮者はソリストの成功に嫉妬していて、無伴奏ソナタ1番のアダージョを弾けば聴衆が退屈して寝るだろうと目論んでの提案だったということですが、本当にそうなの?ちょっとひねくれすぎじゃないの?
ミルスタインは無伴奏ソナタ1番のアダージョからプレストまで弾ききりました。結果としてそのプログラムは大ウケし、新聞でも「かつてない大成功」と称賛されました。
自分のバッハ無伴奏の録音を振り返って
ミルスタインはバッハ無伴奏全曲を2回録音しています。
彼は、2回目の録音は長期にわたって模範演奏の1つに挙げられるだろうと言っています。彼の強い自信が読み取れます。やはり2回目の録音は、彼が彼なりに長い時間をかけてようやくたどり着いた答えだったのだなと思いました。
ちなみに彼は緩徐な楽章は1回目、速い楽章は2回目の録音のほうが良いと語っています。みなさんはどう思いますか?
ミルスタインによるカザルスのバッハの演奏に対する評価
大したエピソードではないのですが、マジかと衝撃を受けたので書き留めます。個人的にはあまり腑に落ちていませんが、頭の片隅には置いておきたいなと思いました。
ミルスタインは著名な音楽家だろうと音楽の良し悪しはハッキリ言います。
ある時、ラフマニノフに自身がピアノ曲へ編曲したバッハ無伴奏パルティータ3番プレリュードについて意見を求められ、一箇所だけ響きが良いとは言えないとコメントした際に「地獄に堕ちろ!」と言われたというエピソードがあります(後にラフマニノフはミルスタインの主張は正しかった!と本人に伝えています)。
本題に戻りますが、ミルスタインはカザルスの演奏に対して以下のようなコメントを残しています。正直、カザルスの演奏のどこに非を打つ箇所があるのかとも思っていたので衝撃でした。分かるような、分からないような...。
「それはゆっくりとした調子で、歌うところはとても素晴らしいが、しかし舞曲となるとカザルスの演奏は重たいし、洗練されているとは言い難い。」
(ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録より引用)
余談:楽器が弾き手の芸術性を取り込むという話
ミルスタインが1つ、興味深い話をしていたので書き留めます。
ミルスタインがイザイのレッスンを受けている時のことでした。ミルスタインが使っていた楽器の弦が切れたので、イザイが彼の所有するグァルネリ・デル・ジェスを貸し出しました。ただ、この時ミルスタインはその楽器の良さがあまり良く分からなかったそうです。
夏の終わりに、ミルスタインは再びそのグァルネリを弾く機会がありました。するとその楽器はイザイの音、自由で表情豊かな瑞々しい音を奏で、ふくよかなヴィブラートもまるでイザイが弾いているようであったと語っています。
優れた演奏家が一つの楽器を長く弾き続けると、楽器も弾き手の芸術性を取り込むことになる。
なんとも不思議な話ですが、実は私の先生も同じことを言っています。人づてに聞いた話では、生徒の楽器を弾けばその生徒がどんな練習をしたか分かると主張するヴァイオリン講師もいます。でも、私にはまだ分かりません...。
ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録
著:ナタン ミルスタイン、ソロモン ヴォルコフ
訳:青村茂、上田京
春秋社、2000